1980-03-04 第91回国会 衆議院 社会労働委員会 第3号
○梅田委員 前の田村労働大臣もあなたも中西さんの後輩だそうですけれども、自民党の中にも失対を理解する会というのをつくろうかという意見もあるくらいで、本当に失対事業は社会的に有益な仕事をたくさんしてきているわけです。そういう点で、いま答弁がございましたけれども、より前向きでこの問題に対して取り組んでいただくようにお願い申し上げまして、私の質問を終わります。 ありがとうございました。
○梅田委員 前の田村労働大臣もあなたも中西さんの後輩だそうですけれども、自民党の中にも失対を理解する会というのをつくろうかという意見もあるくらいで、本当に失対事業は社会的に有益な仕事をたくさんしてきているわけです。そういう点で、いま答弁がございましたけれども、より前向きでこの問題に対して取り組んでいただくようにお願い申し上げまして、私の質問を終わります。 ありがとうございました。
ただいまの決議に対し、田村労働大臣臨時代理から発言を求められておりますので、この際、これを許します。田村労働大臣臨時代理。
労働省が週休二日の推進について熱意がないではないかというおしかりでございますけれども、労働省といたしましては、経済社会の伸展に伴いまして労働時間が短縮されていくということは大変望ましいことということを一貫して考えておりまして、先生御案内のように、週休二日制・定年制延長問題関係閣僚懇談会も、昭和四十七年に当時の田村労働大臣が提案をいたしまして設けられたというようないきさつがあるわけでございます。
何がか知らぬが、田村労働大臣なんというものができてしまってから、週休二日制は官庁が先に実行したらいいじゃないかというようなことを言い出す人が出てきた。一流企業が週休二日制を言い出した。
○岡田(春)委員 いま御答弁のあったように、私、田村労働大臣と言いましたが、これは間違いました。原労働大臣だったと思います。 最近ILO理事会からの条約勧告適用専門家委員会から意見書が来ているはずですが、その意見書の内容はどういう内容が重点になっておりますか、時間もありませんので、要点だけひとつ意見書の内容をお話しいただきたいと思います。
実は昭和四十六年の十月にジェンクス事務局長が参りました際に、当時労働大臣は田村労働大臣、ジェンクス事務局長は百十一号条約の批准をぜひやってもらいたい、こういうことを言いましたら、当時の労働大臣である田村労働大臣はこれを承諾したといわれている。ところが、労働省内で反対があったためにいまだに手続が行なわれていないということがいわれておりますが、これは真相はどうでございますか。
また、昭和四十七年七月、ILOは再び東京支局を通じまして、時の田村労働大臣に対し、特に百十一号、百五号、百二号、百二十二号のほかに、容易に批准ができる条約として、今回の百十九号条約のほか、通勤災害のことなどをきめております業務災害給付に関する条約、労働者代表保護の条約、ベンゼン中毒条約などについて批准促進を申し入れてきたのでございます。
それからILO東京支局が次の田村労働大臣時代にILOとの連絡をとった上で、十の中で四つばかりを指摘しておるのでありますが、それはやはり私はILO的に考えれば非常に重要なものだと思うのであります。
いま具体的にどうこうしろというこまかな指示を運輸大臣が出す筋のものではありません、いわゆる順法闘争、ストライキ、処分といったようなことを繰り返していいかどうか、大局的、全体的に考えるべきだと思います、いずれにしても公労法等のことは労働大臣所管のことでありますから、田村労働大臣とよく話し合いをいたしたいと思います、こういうことを答えているようでございまして、先ほど私が申しましたように、これは公務員制度審議会
私、当時も労政局長でございまして、当時の田村労働大臣とともに佐々木運輸大臣にお目にかかったわけでございますが、佐々木運輸大臣は、そういうような言い方ではない、ストと処分の悪循環は自分も頭を痛めているということは言った、そして何か考えなければいかぬだろうというような趣旨のことは言ったけれども、公労法改正とかなんとかいうようなことは言いません、それで、公労法の問題も考えるかというような記者の質問があったから
その点においてはまことに意欲満々、しかも優秀な新進気鋭の田村労働大臣ですから、われわれ大いに期待しております。ひとつよろしくお願い申します。 次に、大臣は一時までということですし、まだあとに質問者がありますので、時間がありませんが、あとまた事務の方にでもお尋ねしたいと思います。 実は、先日私ども調査に行きました。たくさん要望事項があるのですよ。
○細谷委員 これはひとつ田村労働大臣の手で、埋もれた非常に苦しい人たちでありますから、何らか早急に救っていただく手だてを講じていただきたい、こう思います。 それから最後にもう一点でありますけれども、実はあの一酸化炭素中毒者がたくさん出たために——大牟田市に労災療養所というのがございます。
その点、田村労働大臣は労働行政に非常に精通しておられる、研究もしておられるというならば、田村労働大臣の時代に炭鉱労務者はこのように救われたという何かそこに特色がなければ、従来の労働大臣のように次から次にかわって、同じようなことばかりやっておったのでは、何のための労働大臣か。きょうは時間がないから、私言いたいことはあるのですが、そういう点について具体的に私はこうやります、その点を承りたい。
——田村労働大臣。
私はこれを見て、労働者は受けて立たれるわけですが、労働省はそれは以前から、田村労働大臣以前からもうこの問題は発表されておりますので、あまり目新しいものとは私は考えておりませんけれども、総理がそういう考えであり、また総理がそういうことを発言されるということは、少なくとも労働省の感覚は、やっぱりそうお考えになっておるのじゃないかというような心配をしておるわけです。
そうしますと、新聞記者のほうから、公労法の改正などを考えているかと、こういう御質問がございましたから、それは労働大臣の担当だから、田村労働大臣と話し合う機会をつくろうと、こういう発言、私の発言はその範囲であります。どういうふうに受け取ったかは存じませんが、だいぶ話題を呼んでいるようでありますが、私の発言いたしましたのはそれ以上のものではございません。
大体内閣の構成を見ると、やはり官僚出身者の人方がたくさんいるわけで、田村労働大臣みたいな純粋な政党人だけじゃない。その前歴は官僚の出身の人もたくさんいらっしゃる。だからそういう意味において、田中内閣は党人内閣だなんて言われても、われわれ野党として、国民としては、すなおに承るわけにはまいらぬわけです。
ただ残念なことには、この労使の話し合いの中でも田村労働大臣の金看板であり、田中内閣の大きな公約である週二日制の問題あるいは定年制延長の問題についてはすれ違いに終わった、とこう報じておるのですね。
○委員長(矢山有作君) この際、田村労働大臣及び塩谷政務次官からそれぞれ発言を求められておりますので、順次これを許します。田村労働大臣。
○和田静夫君 八日の衆議院の社会労働委員会では、田村労働大臣は、まことに奇異に感じます、こう労働行政の立場から答弁をしているのですが、なぜこういうような現象が出てきたと自治省は判断されているわけですか。
田村労働大臣はあれ以上積極的に前向きに明るい労働施策を進めるのではなかろうかという期待を私たちはここに持っておるわけでありますが、その一番大きな問題として、定年制延長の問題、私たちは当面六十歳を目標にというような考えを持っておりましたが、大臣は六十五歳、こういうような目標のもとに、これから高齢者社会に臨む労働行政のあり方を転換させようという前向きの姿勢をとられておるわけであります。
私は通産大臣にこれをお尋ねするのが本来とは思いますが、労働行政の面から見ましても、要な中身を含んでおりますだけに、この際、田村労働大臣のこの点についての所信を承っておきたいと思います。
これは定期的にやろうということを、昨日私に田村労働大臣もおっしゃっておりましたが、つまりそれは、信頼の回復をお互いにはかっていこう、こういうわけでありますが、積極姿勢でひとつ労使問題の、特に公務における懸案を難問であっても解決していこう、こういうことでありますが、そういう意味でひとつ前向きに受け取りたい。